やがて文久3(1863)年の八月十八日の政変や、元治元(1864)年の禁門の変(または「蛤御門の変」)などにおいて両藩は激しく戦い、多くの犠牲者を出していました。そんなこともあり、両藩はいつしか不倶戴天(ふぐたいてん、ともにこの世に生きられない、あるいは生かしてはおけないと思うほど恨みや怒りの深いこと)の仇敵(きゅうてき)同士となっていたのです。
しかし、幕府を倒そうと思えば、薩長両藩が手を携(たずさ)えて協力したほうが、それぞれ独自の動きをするよりも効率が良いに決まっています。ただ、歴史的な経緯とそれぞれが持つプライドが、両藩の和解を阻(はば)んでいました。
ところが、歴史の神様はそんな両藩を結びつけるべく別の人物を用意していたのです。彼らの斡旋(あっせん、間に入って両者をうまく取り持つこと)によって、薩摩藩と長州藩は同盟を結ぶことが出来ました。
その人物こそが、土佐藩出身の坂本龍馬(さかもとりょうま)や中岡慎太郎(なかおかしんたろう)でした。
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