一方、幕府は長州藩に対して先の第一次長州征討における戦後処理として領地の削減などを求めましたが、それまでの保守派から討幕へと転換した長州藩が応じなかったので、幕府は再び長州藩を討伐することを宣言しました。
しかし、薩英戦争によってイギリスの影響を受けていた薩摩藩が藩論をそれまでの公武合体から討幕へと転換しており、幕府の命令に容易に従おうとしなかっただけでなく、それまで敵対関係であった長州藩と密かに結ぼうとまで考えるようになっていました。
そんな薩摩藩で政治の実権を握っていたのが、西郷隆盛(さいごうたかもり)や大久保利通(おおくぼとしみち)らでした。
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