そんな中、高杉は元治元年旧暦12月(1865年1月)に奇兵隊(きへいたい)を率いて下関で挙兵しました。これを「功山寺(こうざんじ)挙兵」といいます。兵を挙げた当時、高杉の兵力は伊藤俊輔(いとうしゅんすけ、後の伊藤博文=いとうひろぶみ)の力士隊と合わせても100人に満たないものでしたが、挙兵後に続々と助勢が集結し、ついに藩内の保守派を一掃することに成功しました。
高杉や桂らが政治の実権を握ったことで、長州藩における藩論は討幕へと一気に転換することになりました。高杉によるわずかな人数による挙兵が長州藩の、ひいては我が国の歴史を大きく変えたことになるのですが、実はそれ以前に高杉によって我が国の領土が他国によって占領される危機が回避されていたという歴史を皆さんはご存知でしょうか。
話は文久3(1863)年にさかのぼります。
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