慶応(けいおう)元(1865)年旧暦9月、列強は兵庫沖に軍艦を進め、未だに達成していなかった兵庫の開港と安政の五か国条約の勅許を強く要求しました。これを「兵庫開港要求事件」といいます。
列強の圧力に屈した朝廷がついに条約の勅許を与えると、勢いを得た列強は返す刀で翌慶応2(1866)年に幕府と交渉して「改税約書」を結ばせることに成功しました。これは安政の五か国条約で定めた平均20%の輸入税を一律5%に引き下げるものであり、結果として諸外国に有利となった一方で、我が国にとっては安い輸入品が大量に出回ることで国内の産業や経済に大きな打撃を受けました。
なお、当時の首都である京都御所に近い兵庫の開港は朝廷の反対が強く、慶応3(1867)年になってようやく勅許が与えられています。
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