「御用改めである!」
近藤らは正面から斬り込み、尊攘派の志士らとの間で大乱闘が繰り広げられました。途中で沖田が病(やまい)を発して戦線を離脱するなど近藤らは苦戦しましたが、別働隊の土方らが到着すると形勢は一気に逆転しました。
最後には会津藩や桑名藩の部隊が到着して志士らは壊滅状態となり、宮部鼎蔵(みやべていぞう)ら多数が戦死した一方で、新選組の名は天下に轟(とどろ)きました。この激闘を「池田屋事件」といいます。
なお、長州藩士のうち桂小五郎(かつらこごろう、後の木戸孝允=きどたかよし)も池田屋にいましたが、到着が早かったために一旦外出した後で新選組が襲ったため、難を逃れています。
池田屋事件によって尊攘派の逸材の多くが失われたことで後の明治維新が1年遅れたとも、逆に尊攘派の反発を強めたことで維新が早まったとも言われています。
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