しかし、彼らの動きは京都守護職である松平容保が預かる新選組の知るところとなりました。新選組は武器の調達や諜報(ちょうほう)活動をしていた尊攘派志士の古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)を捕まえ、彼を厳しい拷問(ごうもん)にかけて自白させたと伝えられています。
クーデターの全容を知った新選組は会津藩や桑名(くわな)藩に連絡して共同で攘夷派の志士を探索しようと考えましたが、いくら待っても両藩の部隊が来なかったので、新選組局長の近藤勇(こんどういさみ)や副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)らは新選組のみの少人数で勝手に探索を開始しました。
一方、古高が新選組に捕えられたことを知った尊攘派の志士たちは、善後策を講じるために京都三条木屋町(きょうとさんじょうきやまち)の旅館である池田屋(いけだや)に集まっていましたが、彼らは池田屋が怪しいと突き止めた近藤勇らの一行が次第に近づいていることに気が付いていませんでした。
時は元治元(1864)年旧暦6月5日の午後10時頃、祇園祭(ぎおんまつり)の賑(にぎ)わいの余韻(よいん)が残る蒸し暑い夜に、祭の雰囲気に似つかわしくない激闘が始まろうとしていました。
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