長州藩は三条実美(さんじょうさねとみ)らの急進派の公家と結んで朝廷に働きかけ、将軍の上洛(じょうらく、京都に入ること)と攘夷の決行とを幕府に対して強く迫りました。
進退窮(きわ)まった幕府は、やむを得ず文久3年旧暦5月10日(1863年6月25日)を期して攘夷を実行する旨を諸藩に命じました。ただし、攘夷に対する幕府の認識は横浜港の閉鎖を諸外国に通告することであり、軍事行動を目的とはしていませんでした。
ところが「攘夷=軍事行動」と思い込んでいた長州藩は、旧暦5月10日の当日に藩内の下関海峡を通過していた外国船を砲撃して、本当に攘夷を実行してしまいました。これを「長州藩外国船砲撃事件」といいます。
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