そんな思惑もあって、アメリカは我が国に対して当初は紳士的な対応を行いましたが、前回(第82回)のとおり天保(てんぽう)8(1837)年にモリソン号事件が起きるなど散々な目にあいました。
しかし、それでもアメリカは弘化(こうか)3(1846)年にアメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルを浦賀(うらが)に来航させ、我が国に対して平和的に通商を求めました。
もしここで幕府が通商を受けいれていれば、我が国の歴史は大きく好転していた可能性もあったでしょう。しかし、幕府は鎖国を理由にまたしてもアメリカの要求を拒絶してしまったのです。
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