民衆の政治参加や普通選挙制・政党内閣制の実現を説いた民本主義は、いわゆる大正デモクラシーの先駆(さきが)けとなり、吉野が大正7(1918)年に「黎明会(れいめいかい)」を結成して自らの考えを広めると、知識人層を中心に大きな影響を与えました。
吉野の教えを受けた東大の学生たちは「東大新人会」などを結成し、労働運動への参加を通じて次第に共産主義的な傾向を持つようになりました。
こうした革新的な雰囲気(ふんいき)は、大逆事件以来の「冬の時代」を余儀(よぎ)なくされていた社会主義者たちの活発な行動をもたらし、大正9(1920)年には様々な立場の社会主義者が結集して「日本社会主義同盟」がつくられましたが、翌年には禁止されました。
社会主義の研究も制限されるようになり、大正9(1920)年には東京帝国大学助教授の森戸辰男(もりとたつお)による「クロポトキンの社会思想の研究」という論文が危険思想の扱いを受けて、休職処分となっています。
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