そして大正9(1920)年には、株価の暴落をきっかけとして「戦後恐慌(きょうこう)」が起こり、銀行で取り付け騒ぎが続出したほか、綿糸や生糸の相場が半値以下に暴落したことで、紡績業や製糸業が事業を縮小せざるを得なくなって失業者が増えたほか、物価の下落によって中小農民が没落しました。
さらには、こうした不況に追い打ちをかけるかのように大正12(1923)年9月1日午前11時58分に「関東大震災」が発生し、東京を含む京浜地帯が壊滅的な被害を受けて、日本経済は大きな打撃を受けました。
震災によって多くの銀行の手形が決済不能となり、政府は日本銀行に約4億3,000万円という巨額の特別融資をさせて何とか一時はしのいだものの、不況の慢性化でその後の決済が思うように進まず、3年後の大正15(1926)年になっても約2億円の未決済分が残っていました。
なお、関東大震災による混乱によって、無政府主義者の大杉栄(おおすぎさかえ)と伊藤野枝(いとうのえ)が憲兵大尉の甘粕正彦(あまかすまさひこ)によって殺害されたり、様々な事情によって多数の朝鮮人が生命の危険にさらされるといった騒ぎも発生したりした一方で、その朝鮮人を命がけで保護した民間人や警察官もいました。政府はこうした非常事態に対して戒厳令を出し、事後の対策を講じました。
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