イギリス租界といい、南京といい、また漢口といい、国際的な条約によって列強が保有していた租界に対して暴徒が押しかけて危害を加えたり略奪を働いたりする行為は不法そのものでした。しかし、我が国はチャイナに攻撃を仕掛けることで大陸中が大混乱になり、その結果多くの日本人居留地や居留民が被害を受けることを恐れるあまり、協調外交を口実に一切の報復を行わなかったのです。
南京事件や漢口事件が起きたことで、日本国内においても幣原外相の「軟弱外交」に対する批判がようやく高まりましたが、当時は金融恐慌(きょうこう)などによって内政が大混乱となっており、チャイナによる度重なる租界襲撃に対して一切の報復を行わなかった我が国が、世界における信頼を失いつつあることにまで気が付いていませんでした。
「過ぎたる協調外交は結果として国を滅ぼしかねない」。これも歴史における大きな教訓ですが、実は幣原外交はこの2年後に復活して、我が国をさらなる混乱に巻き込んでしまうのです(詳しくはいずれ後述します)。
なお、南京事件や漢口事件はいずれも中国共産党の扇動によって起きたとされており、これらが蒋介石による上海クーデターにつながったといわれています。
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