幣原外相による外交は今日では「幣原外交」、あるいは「協調外交」と呼ばれ、一般的な歴史教科書では肯定的な評価が多く見られますが、その平和的な姿勢が相手国にとっては「軟弱外交」とも映ったことで、結果として我が国の外交面での信頼を大きく損ねることになったのです。
先述したイギリス租界奪取事件においても、協調外交の姿勢を重視した幣原外相はイギリスからの出兵要請を無視しましたが、これに味をしめたチャイナの革命軍は同じ昭和2(1927)年3月に南京の我が国を含む外国領事館や居留民を襲撃し、これに怒ったイギリスとアメリカの軍艦が砲撃戦を行いました。これを「南京事件」といいます。
南京事件は在留の日本人が殺害されるなどの大きな被害をもたらしましたが、事を荒立てるのを嫌った幣原外相がチャイナに対して一切報復せずに固く「平和」を守ったため、その「弱腰」ぶりがさらなる悲劇をもたらすことになってしまいました。
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