中国大陸の混乱を共産主義化の好機と見たソビエト政権のコミンテルンは、1921(大正10)年に「中国共産党」を組織させたほか、大陸制覇に何度も失敗していた孫文に対して言葉巧(たく)みに近づきました。
1923(大正12)年にコミンテルンのボロジンやヨッフェと次々に会談した孫文は、チャイナの全土統一のためにソ連の援助を受けることを決断し、翌1924(大正13)年に共産党と連携(れんけい)しました。これを「第一次国共合作」といいます。
しかし、この国共合作はコミンテルンが仕組んだ「巧妙な罠(わな)」でした。新たに孫文の顧問となったボロジンは、中国共産党を裏で操りながら国民党をも動かす地位を得たことで、彼の指示によって多くの共産党員が国民党内に流れ込み、国共合作後のチャイナの情勢に大きな影響を与えてしまうのです。
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