イギリス船が今の段階で我が国に来航した場合、もし打ち払うような行動に出てしまえば、我が国を攻撃する口実をイギリスに与えてしまうことになります。慌(あわ)てた幕府は南京条約が結ばれた天保13(1842)年に「天保の薪水(しんすい)給与令」を出しました。
これは、我が国を訪問した外国船に対して食糧や燃料を与え、速やかに退去してもらうというものでしたが、確かにこの法令によって外国との無意味な衝突は避けられたものの、そんな小手先な手段を採るよりも、我が国が自主的に開国すれば何の問題もないはずでした。
我が国と同じく厳しい制限貿易を行っていた清国は、アヘン戦争でイギリスに敗れたことで無理やり開国させられただけでなく、不平等な条約を強引に結ばされるなど散々な目にあっていました。我が国が清国と同じような運命とならないためには、かつて田沼意次が目指したように自主的に開国して積極的に外国と交易する必要があったはずなのです。
しかし、それは無理な話でした。なぜなら、当時の幕府は鎖国が「祖法(そほう、先祖の代から守るべきしきたりのこと)」であると固く信じていたからです。
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