各国の政府が保証する紙幣(しへい)が流通する現代と異なって、当時は保有する金銀の量が国家の信用となっていました。つまり、国家にとって金銀は身体における血液と同じであり、血液が不足すれば身体に大きな影響を与えるように、国内の銀不足はイギリスにとって深刻な問題となりました。
しかし、清国に対して売るものがなければどうすることもできません。イギリスは悩んだ末に「ある手段」を思いつき、それを実行に移したことで巨額の利益を生み出すことに成功しました。
その「ある手段」こそが、当時イギリスが支配していたインドで生産された「アヘン」を清国へ輸出することだったのです。
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