さらに19世紀に入ると、一部の地主や商人などが作業場を設け、農業から離れた賃労働者である奉公人を集めて手工業(しゅこうぎょう)として生産を行う「マニュファクチュア(工場制手工業)」に進化して、天保の頃には大坂や尾張(おわり)の綿織物業や桐生(きりゅう)・足利(あしかが)など北関東の絹織物業などで見られるようになりました。
こうした社会や経済の構造の近代化に対して、農政の復興も盛んになりました。大蔵永常(おおくらながつね)は「広益国産考(こうえきこくさんこう)」や「農具便利論(のうぐべんりろん)」を著して、商品作物の栽培や農具の普及に努めました。
また、二宮尊徳(にのみやそんとく)は藩や幕府の依頼に応じて農村の復興に努めましたが、彼の手法は「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼ばれて庶民の尊敬を集め、我が国の歴史に長く名前を残すことになりました。この他、大原幽学(おおはらゆうがく)も独自の実践道徳である「性学(せいがく)」を講じ、世界で初めて農業協同組合を創設しています。
二宮尊徳は現代でも有効に使用できる一円札の肖像画(しょうぞうが)となっているほか、少年時代の二宮金次郎(にのみやきんじろう)が拾った薪(たきぎ)を背負ったまま本を読んで歩いた像が戦前までの全国の小学校で見られるようになり、現在も数は減ったものの残されているものが多くあります。
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