また、領内の重要な港である下関(しものせき)に越荷方(こしにかた)を置き、西廻り航路で大坂に物資を輸送する運送業者に対して、商品である越荷を抵当に入れて資金を貸し付けて利息を取ったほか、貨物船から預かった越荷を大坂の市場で高値が付いた際にその価格で売るという委託販売を行ったことで大きな利益を上げました。
一方、佐賀の肥前藩では藩主の鍋島直正(なべしまなおまさ)が均田制(きんでんせい)を実施して農村の再建をはかりましたが、これは地主が所有していた小作地を小作人に分け与えることで、本百姓(ほんびゃくしょう)を増やして農村を保護しようとするものでした。
また、特産品の有田焼(ありたやき)の専売を進めて収入を増やし、その資金で大砲製造所を設けて薩摩藩と同様に洋式軍事力を強化しました。
この他、高知の土佐(とさ)藩でも「おこぜ組」と呼ばれる改革派によって支出を切りつめるなどの財政再建が行われましたが、藩政改革に成功したこれらの藩は、有力な家臣を多数抱えるとともに変動する社会の動きにも敏感に反応できたことで、幕末の動乱期に薩長土肥(さっちょうとひ)などの「雄藩(ゆうはん)」として登場することになるのです。
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