また、大塩の考えに共鳴した農民による一揆も多発するなど、不穏(ふおん)な情勢がこの後も続くことになったことから、こうした事態を重く見た幕府による綱紀粛正(こうきしゅくせい、国家の秩序やまた政治のあり方、または政治家や役人の態度を正すこと)のための改革が行われるようになりました。
しかし、困窮(こんきゅう)する庶民のためではなく、幕府の体面を保つことを何よりの目的とした改革が成功するはずもなく、遠からず破綻(はたん)する運命にあることはむしろ当然ともいえました。
ちなみに、大塩が乱を起こした当時の大坂町奉行は跡部良弼(あとべよしすけ)でしたが、実は彼は幕府の老中の実弟でした。その老中こそが、天保の改革を行った水野忠邦なのです。
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