大塩の決断には、陽明学における知行合一(ちこうごういつ)の精神、すなわち「知っていて行わないのは知らないことと同じだ」として、実践を重視する姿勢もあったからと考えられています。
大塩は反乱に向けて綿密に計画を練りましたが、決起直前になって内通者が出てしまい、計画は奉行所にばれてしまいました。大塩は準備不足のまま反乱を強行しましたが、奉行所によって半日で鎮圧され、大塩も一度は逃走したものの、約40日後に自害しました。
天保8(1837)年に起きたこの事件は「大塩の乱(あるいは「大塩平八郎の乱」)と」呼ばれていますが、幕府の元役人が幕政を批判して反乱を起こしたという事実が、幕府のみならず各方面に大きな衝撃を与えることになりました。
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