これに対し、ロシアは報復として翌文化9(1812)年に日本船を拿捕し、淡路島(あわじしま)の商人であった高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)らを抑留しました。
まさに「人質合戦」と化したことによって両国間の関係はさらに悪化しかけましたが、当時のロシアはヨーロッパでの戦争が続いていたことから、我が国を侵略するまでの意図がなかったこともあり、ゴローウニンと高田屋嘉兵衛とが捕虜(ほりょ)交換の形でそれぞれ帰国しました。
これら一連の流れは「ゴローウニン事件」と呼ばれていますが、この後の日露関係は修復へと向かい、幕府の直轄地となっていた蝦夷地も文政4(1821)年には松前藩に返還され、松前奉行は廃止されました。なお、高田屋嘉兵衛に関するエピソードは作家の司馬遼太郎(しばりょうたろう)によって「菜の花の沖」という名で小説化され、テレビドラマ化もされています。
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