ラクスマンの要求は、応対した松前(まつまえ)藩を通じて幕府に伝えられましたが、老中の松平定信は漂流民こそ受け取ったものの、通商に関しては鎖国を理由に聞く耳を持たず、どうしても通商を求めたいのであれば長崎へ行くようにと命令したうえで、長崎への入港許可証を与えました。
ラクスマンは許可証を受け取りましたが、長崎へは向かわずそのまま帰国しました。一方、ラクスマンの来航の事実を重く見た幕府は、蝦夷地や江戸湾の海防の強化を諸藩に命じたほか、定信の失脚後の寛政10(1798)年には近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)や最上徳内に択捉島(えとろふとう)などを調査させるとともに、翌寛政11(1799)年には東蝦夷地を幕府の直轄地としました。
なお、我が国に帰還した大黒屋光太夫に関するエピソードは、作家の井上靖(いのうえやすし)によって「おろしや国酔夢譚(こくすいむたん)」という長編小説に書き上げられ、映画化もされています。また、近藤や最上らは択捉島などを調査した際、択捉島に「大日本恵登呂府(えとろふ)」の標柱を立て、日本領であることをアピールしています。
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