水戸藩では藩主の徳川光圀(とくがわみつくに)によって「大日本史(だいにほんし)」の編纂(へんさん)が始められましたが、作業が進んでいくうちに、先述した「徳をもって世の中を治める王者(おうじゃ、天皇のこと)が権力に頼って支配する覇者(はしゃ、幕府のこと)にまさる」という思想につながったのです。
尊王論は後述する外国勢力の接近に対抗するために、外国人を実力行使によって排斥(はいせき)しようとする攘夷論と結びつくようになり、水戸学の世界でも藤田幽谷(ふじたゆうこく)・藤田東湖(ふじたとうこ)の父子や会沢正志斎(あいざわせいしさい)らによって尊王攘夷論が唱えられ、幕末の思想に重大な影響を与えました。
また、寛政の頃には高山彦九郎(たかやまひこくろう)が全国を旅して尊王思想を広めたり、蒲生君平(がもうくんぺい)が歴代天皇の御陵(ごりょう)を調査して「山陵志(さんりょうし)」を著したり、頼山陽(らいさんよう)が「日本外史(にほんがいし)」を著して南朝の忠臣を紹介したりしたことで、尊王思想は幕末の民間にまで広く浸透(しんとう)することになりました。
なお、蒲生君平はいわゆる「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」の名付け親でもあります。この他、先述した平田篤胤による復古神道も、全国の下級武士や豪農を中心として幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えました。
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