このことから、洋学は主として医学や兵学、あるいは地理学などの実学(じつがく)としての性格を強めていきました。
幕末に海防論が叫ばれたころには、伊豆(いず、現在の静岡県など)の代官の江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん、別名を江川坦庵=えがわたんあん)が韮山(にらやま)に大砲を鋳造(ちゅうぞう)するための反射炉(はんしゃろ)を設けました。
また、開国論者の佐久間象山(さくましょうざん)は坦庵に学んで江戸で兵学を教え、先述した吉田松陰や勝海舟(かつかいしゅう)などの人材を育てています。
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