幕府の天文方(てんもんかた)の高橋至時(たかはしよしとき)が西洋の暦法を考慮した寛政暦(かんせいれき)を作成すると、彼の弟子となった伊能忠敬(いのうただたか)は、50歳を過ぎてから全国の測量を実施して「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を作成しました。
伊能図(いのうず)とも呼ばれるこの地図は忠敬の死後の文政4(1821)年に完成しましたが、実際の地図と比べても遜色(そんしょく)のない高い精度を誇っています。
幕府は翻訳作業を円滑に行うため、高橋至時の子で同じ天文方の高橋景保(たかはしかげやす)の建議によって「蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)」を設けました。なお、蛮書和解御用は幕末に「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」と改称され、現代の東京大学の源流の一つとなっています。
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