田沼時代に発達した文化は、松平定信(まつだいらさだのぶ)の寛政(かんせい)の改革によって一旦(いったん)は冷え込みましたが、徳川家斉(とくがわいえなり)が政治の実権を握った大御所(おおごしょ)時代を中心に再び栄えました。この時代の文化については、当時の元号である文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)から「化政(かせい)文化」と呼ばれています。
化政文化を迎える頃には、教育や出版の普及によって中央の文化が地方にまで広がるとともに、都市生活の多様化によって文化の内容が多方面に広がりました。特に、値段の高かった書籍を庶民に安価で貸し与えることを商売としていた貸本屋(かしほんや)の活動には目覚ましいものがありました。
一方、寛政の改革などによる厳しい統制を受けたことで、反発した庶民が風刺(ふうし)の効いた多くの作品を残したり、幕府政治の長期化で限界が見えつつあった幕藩(ばくはん)体制に対して新しい動きを模索(もさく)しようとする動きもあったりしました。
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