我が国の海軍は米英への対抗のため対7割(米英5、日3.5)を唱えましたが、海軍大将でもあった全権の加藤友三郎がこれを抑えるかたちで調印しました。また、条約締結後は各国が10年間戦艦を建造しないことも取り決められました。
軍縮条約によって、西太平洋における防備に関して各国が制限を受けることになりましたが、なぜかアメリカのハワイとイギリスのシンガポールはその例外とされました。つまり「日本だけが西太平洋における防備を一方的に削られた」格好となったのです。
後に我が国が大東亜戦争の際にハワイの真珠湾を最初に攻撃し、またシンガポールにも激しい攻撃を加えた背景には、この不平等ともいえる条約がもたらした軍事的な不均衡(ふきんこう)も含まれていました。
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