この国際条約によって、アメリカが提唱していたチャイナの領土と主権の尊重や、経済活動のためのチャイナにおける門戸開放・機会均等の原則が成文化されましたが、これは我が国が九か国条約より先にアメリカと結んだ「石井・ランシング協定」に明らかに反するものでした。
なぜなら、石井・ランシング協定でアメリカはチャイナにおける日本の特殊権益の保有を認めていたにもかかわらず、九か国条約によって、チャイナの権益は「すべての国が平等」となってしまったからです。
アメリカにとって、石井・ランシング協定は自国が第一次世界大戦に参戦中に日本が中国大陸に対して余計な手出しをさせないために、その場しのぎで結んだに過ぎなかったのです。事実、先述のとおり、この協定は九か国条約が発効した大正12(1923)年に破棄されてしまいました。
この後、我が国が中国大陸に何らかの立場で関わる度に、アメリカを中心とする世界が九か国条約違反を強硬に主張したことで、我が国のみが国際的な非難を浴びる遠因となりました。さらに我が国は九か国条約に基づいて、ヴェルサイユ条約という名の国際的にも「正当な手段」で手に入れた山東半島における旧ドイツ権益を、大正11(1922)年に中華民国に返還することになってしまいました。これを「山東懸案解決条約」といいます。
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