大正8(1919)年、アメリカのウィルソン大統領の民族自決(=各民族が自らの意志によってその帰属や政治組織あるいは政治的運命を決定し他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利のこと)に関する宣言に触発された朝鮮人によって、3月1日に京城(現在のソウル)のパゴダ公園(現在のタプッコル公園)を中心に各地で集会が行われました。
集会では「独立万歳」の声が上がり、やがて示威(しい、威力や気勢を他に示すこと。いわゆるデモのこと)行為が朝鮮全土に広がったことによって警察との衝突が起こり、最後には軍隊も出動して流血の惨事となってしまいました。
三・一独立運動は不幸な出来事でしたが、その後の裁判によって死刑を宣告された人間は一人もいませんでした。当時の朝鮮総督である斎藤実(さいとうまこと)が融和策をとったからです。斎藤総督はその後も集会や言論、あるいは出版に一定の自由を認めるなど、事件の反省を受けて朝鮮半島における統治政策を緩和しました。
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