なぜなら、先述したように、ヨーロッパ本土で多くの血を流して共に戦ったアメリカと山東半島や地中海など限定的な戦闘に留まった我が国とでは、他の主要な連合国であるイギリスやフランスの感謝度が全く違ったからです。
かくして、講和会議はアメリカ・イギリス・フランスを中心に行われただけでなく、アメリカは自国の立場を利用して、会議にオブザーバーとして参加した中華民国の発言権を認めました。
会議において、中華民国はドイツの旧権益を我が国を通さずに直接返還することを申し出るなど強気な発言を繰り返し、最終的にヴェルサイユ条約の調印を拒否したほか、チャイナの国内における排日活動もアメリカの支持を得て激しくなっていきました。
また、先述した十四か条の平和原則に基づいて、国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関として1920(大正9)年に「国際連盟」が設立されましたが、連盟で行われた会議において、日米両国がまたしても激しく対立することになったのです。
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