また、この頃までに立憲政友会に関係した汚職事件が続発したことで、野党や国民の間で原内閣に対する反発が強まるとともに、腐敗をもたらした政党政治への不信感も高まりました。
大正10(1921)年11月、原敬は関西での遊説(ゆうぜい)のために東京駅に到着した直後に一青年によって刺殺されてしまいました。
高い政治力を誇っていた原内閣が突然崩壊した影響は大きく、後継として高橋是清(たかはしこれきよ)が首相に選ばれたものの短命に終わり、以後しばらくの間は非政党内閣が続くことになるのです。
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