この飢饉は当時の元号から天明の大飢饉と呼ばれ、噴火以前の天明2(1782)年から天明8(1788)年まで長く続きました。なお、浅間山と同じ年の1783年にはアイスランドのラキ火山が同じように噴火しており、天明の大飢饉の理由の一つに数えられるとともに、北半球全体が冷害になったことで、1789年のフランス革命の遠因にまでなったと考えられています。
天明の大飢饉によって東北地方を中心におびただしい数の餓死者が出てしまったほか、飢饉によって年貢が払えない農民による一揆や、都市部での米の売り惜しみに対する打ちこわしが多発しました。
そして、当時は「天災が起きるのは政治を行っている人間のせいである」という考えが信じられていたので、これらの責任の一切を意次が背負わなければならなかったのです。
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