意次が実質的に政治の実権を握った十数年間を田沼時代と呼びますが、田沼意次の代名詞として今も語り継がれている言葉に「賄賂(わいろ)政治」があります。賄賂といえば、今では立派な犯罪行為であり、政治家が逮捕されることも珍しくありませんが、現代と同じ目で江戸時代の賄賂を見るということは、厳密に言えば正しくはありません。
実は、当時の江戸幕府で賄賂をもらうことは「むしろ当然」という感覚がありました。なぜなら、賄賂を受け取れば、それだけ賄賂を贈ってくる側の諸大名や商人の勢力を削(そ)ぐことができるからです。従って、幕府の権力を保つためという口実のもとに、意次以外の幕閣も積極的に賄賂をもらっていたのが現実の姿でした。
加えて、そもそも有力な政治家に対して金品を贈ることは、現代の法律で認められた「政治献金」も含めて、昔も今もある意味当然の感覚ですし、当時の幕閣の中で意次に一番実力があると誰しもが思ったからこそ、彼に賄賂を贈っていたとも考えられます。ちなみに、清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく、後ろ暗いところのないこと)で知られる松平定信(まつだいらさだのぶ)も、幕閣入りを目指して意次にしきりに賄賂を贈っていたのは有名な話です。
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