もっとも、農民に無理を強(し)いたことで幕府の財政は上向き、蔵(くら)の中には相当量の金銀や備蓄米が集まりましたから、いわゆる「幕府のための改革」としては成功したのかもしれません。
ところで、幕領での一揆は吉宗の死後も治まる気配はなく、後を継いだ9代将軍の徳川家重も散々に悩まされました。そんな光景を静かな目で眺(なが)めていた、家重に若い頃から仕えていたある家臣は、吉宗による「重農主義」の政治の限界を実感していました。
その家臣は後に出世を重ねて、将軍の側用人(そばようにん)と老中を兼任して政治の実権を握ると、過去の反省から「重商主義」に主眼を置いた政治に切り換えることによって我が国に好景気をもたらし、その開明的な政策は自主的な開国をもたらす一歩手前まで行きました。
その政治家の名前こそが、いわゆる「田沼時代」で有名な田沼意次(たぬまおきつぐ)なのです。
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