この矛盾を解決するには、米を通貨扱いにする米本位制ともいえる石高制をやめて、生産される米の量を銭に換算するという、戦国時代までの貫高制(かんだかせい)に戻すのが一番良い方法でした。
つまり、武士にはそれまでの米の代わりに銭を支給し、綱吉の時代に元禄小判でそうしたように、政府が通貨量を調整して経済をコントロールする方式にすればよいのですが、商行為を敵視するあまりに、極端な重農主義に染まっていた吉宗には出来ない相談でした。
もっとも、江戸南町奉行の大岡忠相による再三の献策によって、吉宗の治世中の元文(げんぶん)元(1736)年旧暦6月に幕府は金の含有量を下げた元文小判を発行し、金融緩和を行っていますが、結局は一時しのぎに過ぎず、老中(ろうじゅう)の松平乗邑(まつだいらのりさと)らによって農民からの租税回収が強化され続けたのです。
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