吉宗は新田開発を手がけることなどによって、米の増産に尽力しました。その背景には「米を増産させれば、当然年貢収入も増えるから、財政は豊かになる」という思い込みがあったのですが、実はこれがとんでもない思い違いだったのです。
幕府の財政を支えていた米であっても、その実体は流通する商品のひとつに過ぎません。ということは、増産すればするほど米が余るようになり、供給量が増えることによって、結果として米の価格が下がり、財政も厳しくなってしまうという、全くの逆効果をもたらしてしまったのでした。
このような矛盾(むじゅん)が起きた理由の一つに、幕府が米を「神聖なもの」として扱う姿勢がありました。実は、幕府は「商品」の一つに過ぎない米を「通貨」扱いにしていたのです。これを石高制(こくだかせい)といい、江戸幕府の基本制度として成立当初から続けられてきました。
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