また吉宗は、当時ヨーロッパで我が国と唯一貿易を行っていたオランダの言葉であるオランダ語によって、西洋の学術や文化を研究した蘭学(らんがく)を積極的に導入しようとしました。この際に吉宗が蘭学を学ばせたのが、先述した青木昆陽と野呂元丈(のろげんじょう)です。吉宗の時代に種がまかれた西洋の知識により、世界の様子が少しずつ我が国に広まっていったことで、近い将来に開国のチャンスが生まれることになりました。
さらに吉宗は、幕府に殺到する訴訟への対策も考えました。享保4(1719)年に相対済(あいたいすま)し令が出されたことで、金銭の貸し借りによる争いを当事者で解決させるようにしたのです。ただし、この法令は借金を棒引きしたいわゆる「徳政令」とは違いますので、区別する必要があります。
吉宗の時代に行われた他の法令関係の事業では、江戸の治安を守るためとして、幕府による本格的な法典の導入を目的に寛保(かんぽう)2(1742)年につくられた公事方御定書(くじがたおさだめがき)も有名です。
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