吉宗は、江戸の町に詳しい町民に自身の住む町を守らせたほうが何かと効率が良いと考え、町火消(まちびけし)の制度をつくりました。その他にも、火事による類焼を食い止めるために広小路(ひろこうじ)と呼ばれる幅の広い道路をつくったり、防火用の空き地である火除地(ひよけち)をつくったりしました。
また、それまでの江戸の家屋は板葺(いたぶ)きの屋根が多かったのですが、火の粉が飛んできたら無防備も同然だったため、瓦葺(かわらぶ)きに改良させていきました。
ちなみに、この頃の消火方法は破壊消防が中心であり、延焼を防ぐために現場の周囲の建物や構造物などを取り壊していました。
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