収入というものは増やすだけではなく、一年にどれだけ得ることができるかという目安も重要でした。そのためには耕地を広げるだけではなく、納めさせる税率も一定のものにしなければならないと考えた吉宗は、その年の収穫(しゅうかく)に応じて年貢率を決める検見法(けみほう)を改め、豊作や凶作にかかわらず、過去数年間の収穫高の平均から年貢率を一定にするという定免法(じょうめんほう)を定めました。
収入増に一定の道筋をつくった吉宗が次に考えたのは、優秀な人材を積極的に登用することでした。しかし、いくら優秀であっても、旧来の地位や身分を重視していては上手くいきません。そこで、たとえ身分が低くても、在職中の間だけ石高(こくだか、米で支給される武士の給料のこと)を増やすという足高(たしだか)の制を享保8(1723)年に施行(しこう)しました。
この制度によって江戸南町奉行として採用されたのが、有名な大岡忠相(おおおかただすけ)です。
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