吉宗がまず取り組んだのは徹底した倹約令(けんやくれい)でした。収入が現状ではそれほど期待できない以上は、支出を抑えない限りは赤字が増える一方です。吉宗は、普段の着物は粗末(そまつ)な木綿(もめん)を使用し、食事も朝夕の二回のみで、献立も「一汁三菜」の質素なものにするなど、紀州藩主の頃と同様に自らが先頭に立って倹約に励みました。
倹約令によって支出を抑え始めた吉宗が次に取り組んだのは、幕府財政の増収でした。享保7(1722)年、吉宗は諸大名に対して参勤交代の江戸在府の期間を従来の一年から半年に短縮する代わりに、一定の米の量を幕府に献上させました。これを上(あ)げ米(まい)といいます。物価が高い江戸での生活を短くすることで、浮いた諸大名の経費を幕府に対して米で支払わせるという制度でした。
上げ米の総額は1年に約18万7000石余りで、これは幕領(ばくりょう、幕府直轄領のこと)からの収入の約1割に相当しました。なお、上げ米は一定の成果を挙げたことで享保15(1730)年に廃止され、参勤交代の制度も元に戻っています。
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