幕府は元禄小判のように貨幣の改鋳(かいちゅう)を行ったり、江戸・大坂・京都のいわゆる「三都」の商人に対して御用金(ごようきん)を命じたりしましたが、財政難に対する根本的な対策とはなりませんでした。
また諸藩も同様に財政難に苦しんでおり、蔵米(くらまい、大坂の蔵屋敷に輸送する年貢米のこと)を担保として蔵元(くらもと)や掛屋(かけや)から借金をしたり、独自の藩札を発行したりしたほか、家臣の俸禄(ほうろく)を半分のみ支給したり、特産品の専売に踏み切ったりしました。
同じ武士である旗本や御家人の生活はさらに厳しくなり、禄米(ろくまい)を担保に札差(ふださし)から借金をしたり、あるいは内職をしたりするばかりでなく、なかには裕福な町人を養子に迎えて武士の身分(=御家人株)を売買する者まで現れました。
財政難への対策のひとつとして、諸藩が農民に対する年貢率を引き上げることが多かったのですが、それは農民の生活に対する圧迫を意味していました。窮乏(きゅうぼう)に耐えかねた農民の中には、年貢の減免などの要求を掲(かか)げて直接行動を起こす者も現れました。これを百姓一揆(ひゃくしょういっき)といいます。
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