しかし、共産党による一党独裁の政治を始めたソビエトは、共産主義社会の実現を名目として反対する民衆を裁判にかけることもなく有無を言わさず大量に虐殺しました。政治や言論の自由を失った民衆からしてみれば、ロマノフ王朝以上に抑圧された「非民主国家での圧政の日々」と言えたかもしれません。
自国での革命に成功したソビエトは、世界の共産化をめざして1919(大正8)年に「コミンテルン」を組織しました。コミンテルンの主な目的は、各国の知識人や労働者をそそのかして共産主義の革命団体を世界中に旗揚げし、そのすべてをソビエトからの指令によって動かすことで各国の内部を混乱させ、共産革命を引き起こそうというものでした。
コミンテルンはやがて目標の一つを東アジアに定め、中国大陸内で民衆に共産主義を広めたほか、我が国にも「コミンテルン日本支部」ともいうべき組織を「日本共産党」という名称で大正11(1922)年に秘密裏(ひみつり)に立ち上げました。
そもそも我が国は、ソビエトと国境を接した満州に権益を持ち、あるいは朝鮮半島を自国の領土としていましたから、ロマノフ王朝を皆殺しにするなど君主制の廃止を何とも思わなかった共産主義による脅威(きょうい)を、天皇陛下に万が一のことがあっては大変なことになると、世界で最も強く感じていました。共産主義への恐怖と内部で密(ひそ)かに進んだコミンテルンの工作とが、大正時代以降の我が国の歩みを大きく狂わせる結果を招くようになるのです。
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