1914(大正3)年6月、オーストリアの皇位継承者夫妻が、バルカン半島のボスニアの州都サライェヴォ(=サラエボ)でセルビア人の民族主義者に暗殺されました。オーストリアが報復として翌7月末にセルビアに宣戦布告をすると、同盟や協商関係によって8月にはドイツとロシアの戦争に拡大し、さらにはイギリスやフランスもロシア側について次々と参戦しました。
こうして、戦いはドイツ側の同盟国とイギリス側の連合国とによって、ヨーロッパだけでなく世界へと拡大する空前の大戦争となり、4年3か月にも及ぶ長期戦となりました。この戦争は、今日では「第一次世界大戦」と呼ばれています。
第一次世界大戦の緒戦はドイツが優勢であり、苦戦していたイギリスは、同盟国である我が日本に対してしきりに参戦を促(うなが)しましたが、日英同盟の範囲がインドまでと定められていたこともあり、我が国の態度は慎重でした。
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