それなのに、第一次山本内閣の誕生後にはスローガンであった「閥族政治打破・憲政擁護」の声がほとんど聞かれなくなり、第一次護憲運動の熱が一気に冷めてしまったのです。
その理由は、上記のスローガンを一番熱心に叫んでいたはずの立憲政友会が倒閣によって与党となり、多数の閣僚ポストを得るなど大きな利権を得たからでした。こうした政友会の姿勢には、立憲国民党や一般国民あるいは政友会内部からも大きな反発の声が挙がり、尾崎行雄が政友会を離党するなどの混乱が続きました。
大正政変が起きた当時は、大日本帝国憲法が制定されてから25年近くの歳月が流れていましたが、政変前後における立憲政友会の動きは、我が国における政党政治の未熟さを浮き彫(ぼ)りにしていました。そして、第一次護憲運動によって誕生した第一次山本内閣も、この後に思わぬ方向から崩壊の危機を迎えることになってしまうのです。
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