その後も数々の不正が発覚して大きな汚職事件に進展したことで、海軍大将でもあった山本権兵衛首相は責任を取って同年3月に辞任しました。これを「ジーメンス事件(または『シーメンス事件』)」といいます。
第一次山本内閣の総辞職を受けて、長州閥の元老や陸軍関係者らは、言論界や国民から人気があり、また自由党の流れをくむ立憲政友会とは長年の宿敵でもあった大隈重信(おおくましげのぶ)を首相として迎え、立憲同志会などを与党とした第二次大隈内閣を誕生させました。
第二次大隈内閣は、翌大正4(1915)年の総選挙で立憲政友会に圧勝し、かねてよりの懸案であった陸軍の二個師団増設案も議会通過にこぎつけることができましたが、ジーメンス事件の際に見せた「相手方の弱みや失敗に付け込む」姿勢は、大正政変における立憲政友会と同じように、当時の政党政治に潜(ひそ)んでいた「党益を最優先し、そのためには国益を軽視した政争をも辞さない」という危うさを感じさせるものでもありました。
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