また、陸軍と同じように拡充計画を延期させられていた海軍では大臣の斎藤実(さいとうまこと)が留任を拒絶していましたが、桂は大正天皇の詔書(しょうしょ、天皇の命令を伝える公文書のこと)によって強引に留任させました。
内閣の成立に際して天皇の詔勅(しょうちょく、天皇の意思を表示する文書の総称のこと)を利用したことは、議会の存在を軽視したのみならず、大日本帝国憲法第3条における天皇の神聖不可侵(しんせいふかしん)、すなわち天皇に政治的責任を負わせないという精神にも反するものであったことから、第三次桂内閣に対する非難の声が成立直後から高くなりました。
こうした流れを受けて、立憲政友会の尾崎行雄(おざきゆきお)や立憲国民党の犬養毅(いぬかいつよし)らを中心に、実業家や都市の一般民衆も加わって「閥族政治打破(ばつぞくせいじだは)・憲政擁護(けんせいようご)」をスローガンとする運動が全国に広がりました。これを「第一次護憲運動」といいます。
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