俳諧では、西山宗因(にしやまそういん)による奇抜な趣向をねらった談林(だんりん)俳諧に対して、伊賀出身の松尾芭蕉(まつおばしょう)が格調高い芸術による蕉風(しょうふう、または「正風=しょうふう」)俳諧を確立しました。全国を旅しながら俳諧を広めた芭蕉は「奥の細道」などの紀行文を残しました。
武士出身の近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は「国性(姓)爺合戦(こくせんやかっせん)」などの歴史的な事柄を扱った時代物(じだいもの)や「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」などの当時の世相に題材をとった世話物(せわもの)を、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎(かぶき)の脚本として書き上げました。
近松の作品は義理と人情の板挟みに苦しむ人々の姿を美しく描いたものであり、大坂の竹本義太夫(たけもとぎだゆう)らによって語られ、義太夫節(ぎだゆうぶし)として広く知れ渡りました。
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