このほかの朱子学派としては、戦国時代に活躍した南村梅軒(みなみむらばいけん)を祖とする南学(なんがく)があり、土佐の谷時中(たにじちゅう)に受け継がれた後には野中兼山(のなかけんざん)や山崎闇斎(やまざきあんさい)らが出ました。
山崎闇斎は僧侶(そうりょ)から儒者となり、我が国古来の神道を朱子学的に解釈した垂加神道(すいかしんとう)を説き、大義名分から皇室を尊敬することを教え、後の尊王論の基礎となりました。なお、この門流は崎門(きもん)学派と呼ばれました。
朱子学以外の儒学としては、チャイナの明の王陽明(おうようめい)を始祖とする陽明学(ようめいがく)を中江藤樹(なかえとうじゅ)や熊沢蕃山(くまざわばんざん)らが学び、知行合一(ちこうごういつ、本当の知は実践を伴わなければならないということ)による実践主義を重視して、理論に偏(かたよ)りがちな朱子学を批判したことや、その革新的な内容が幕府に警戒されました。
なお、山崎闇斎は保科正之に、熊沢蕃山は池田光政にそれぞれ招かれて学問を教えています。また、後の天保(てんぽう)8(1837)年に反乱を起こした大塩平八郎(おおしおへいはちろう)も陽明学者として有名です。
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