17世紀後半になると、江戸・大坂・京都の三都や城下町において、生産地の仲買(なかがい)から商品の仕入れや受託を行う問屋(といや)が商業や流通の中心となっていきました。
問屋は自己の利益を守るため、業者ごとに仲間(なかま)や組合という同業者の団体をつくり、仲間掟(なかまおきて)と呼ばれた独自の法を定めて営業の独占を図りました。
当初の幕府は仲間を公式には認めませんでしたが、商工業者の統制や物価の調節に有効な役割を仲間が果たしたことによって、18世紀には公認するとともに、運上(うんじょう)や冥加(みょうが)といった営業税を確保するために仲間の公認を増やすようになりました。
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