海上交通においては古代より発達した瀬戸内海航路に加えて、幕府や藩の年貢米(ねんぐまい)輸送を中心に江戸と大坂とを結ぶ航路が整備されました。17世紀前半からは菱垣廻船(ひがきかいせん)が、18世紀前半には樽廻船(たるかいせん)が南海路(なんかいろ)で定期的に運行され、主に大坂からの物資を江戸に運ぶ役割を果たしました。
また17世紀後半になると、江戸の商人であった河村瑞賢(かわむらずいけん)によって東廻(まわ)り航路(または「東廻り海運」)・西廻り航路(または「西廻り海運」)が整備され、全国的な海上交通網が完成しました。
東廻り航路は東北地方の日本海側から津軽海峡を経由して江戸へ向かい、西廻り航路は同じ東北地方から下関を通って大坂へ向かう航路でした。両方とも主として奥州や北陸の米の輸送を行い、江戸時代後期の西廻り航路には北前船(きたまえぶね)が就航するようになりました。
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