幕府の継飛脚にならって、やがて各大名は江戸と国元の間に大名飛脚(だいみょうびきゃく)を置くようになり、また町人も町飛脚(まちびきゃく)の業務を開始するようになって、書状や小荷物を扱う飛脚問屋(ひきゃくどいや)ができました。
陸上交通では幕府や大名の御用通行(ごようつうこう)が優先されましたが、これらに使用される人馬は宿場の町人や農民が準備しました。これを伝馬役(てんまやく)といいます。なお、人馬が不足した際には助郷(すけごう)と呼ばれた村から補充しましたが、これは助郷役(すけごうやく)といわれました。なお、伝馬役あるいは助郷役については前回(第79回)でも紹介しています。
街道が整備されたことで宿場町はにぎわいを見せ、やがて伊勢参りなどの庶民の旅行が盛んとなりましたが、その一方で幕府は治安維持の目的から箱根(はこね)など各街道に関所を設け、江戸への武器の搬入(はんにゅう)や江戸から大名の妻子が帰国しないかどうかを厳しく見張りました。いわゆる「入鉄砲(いりてっぽう)に出女(でおんな)」のことです。
また、多くの兵が江戸へ攻め寄せることを防ぐために川に橋をかけないことも多く、特に大井川(おおいがわ)は船の移動も禁止されたため、川越人足(かわごえにんそく)による人力移動の手段しか認められませんでした。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という言葉が今でも知られています。
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